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執筆者の写真鈍 拓男

③公平であること

子どもは親や教師のえこひいきを見分ける「天才的」鋭さをもっている。

なるほどなんとなくわかります

当たり前のことなんですけど難しいことですね

自分は公平でいるつもりでもそうとられないことだってありますから

そこはまだまだ修行が足りないんでしょう


自分が公平にとり扱われていないと思う瞬間、親や教師への人間的信頼はくずれ、しばしば不信・憎悪を生み出す。

不信はわかりますが憎悪までも…

私はこのような経験が運よくないのか

はたまた「天才的」鋭さがなかったのか

まぁそれはどうでもいいですね

とにかくえこひいきはいけない

公平でなければ

それは大切なことだと私も思います


そして最後に

不信のあるところに教育はない。


なるほど

ではこの言葉の逆を言うと

「信頼のあるところに教育は存在する」

ということになるのかなぁ〜



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