『嫌われる勇気』からの…その②
- 鈍 拓男

- 9 時間前
- 読了時間: 2分
アドラー心理学というものに前から興味はあったのですが
ようやく入り口に辿り着きました
ちょっと知ったということでの入り口に
この書籍は青年と哲人との対話形式で物語が進んでいきます
青年の疑問や意見に哲人が
アドラー心理学を引用しながら応えていくという形で
アドラー心理学の中で
というかこの書籍の中で
おもしろいなぁと思ったことはたくさんありましたが
中でも「原因論」と「目的論」についてです
まぁ最初に出てくるんですけど…
「人は変われる」という哲人に青年がそんなことはない
家に閉じこもっている友人の話を例に出して
外に出られないのは
両親との関係や過去の学校での経験など
何らかのトラウマなり原因があると
それに対し哲人はそのトラウマや原因を否定します
これは「原因論」と「目的論」の違いです。あなたのおっしゃる話は、すべてが原因論に基づいています。われわれは原因論の住人であり続けるかぎり、一歩も前に進めません。
まとめるのが苦手ですから
「何のこっちゃ?」と思われると思いますが
興味のある方は書籍を読んでください(お願いします)
哲人が青年が風邪で高熱を出して医者に診てもらった時に
昨日薄着をして外出したからですねと
風邪をひいた理由を教えてもらっただけで満足できるか
と尋ねたときに
青年は満足できない
医者なら薬を処方するなり注射を打つなり何かしらするものだ
と答えました
それに対して哲人はこう言ってます
ところが、原因論に立脚する人々、たとえば一般的なカウンセラーや精神科医は、ただ「あなたが苦しんでいるのは、過去のここに原因がある」と指摘するだけ、また「だからあなたは悪くないのだ」と慰めるだけで終わってしまいます。
と
この「原因論」と「目的論」の話
私のいいように解釈するならば
なんか以前に書いた
「懺悔」
とか
に通じるんですよねぇ…
この感じをきちんと文章化できればいいんでしょうけど…
まぁそれは…
あえて抽象的に書きます
①「こういう様子が見られるから◯◯な傾向がありますね」
②「そうだとするとこのような指導をするといいんじゃないですか」
これは指導の方法まで告げているから
単なる「原因論」ではないのかもしれませんが
②に行きつかない
行かない状況がまだまだ多くある
そんな状況がまだまだこの界隈では続いているのかなぁと思うので
原因論に感じてしまうのか…




コメント