最近他の子どもに視線入力する機会がありました
同じ教室にいたYさんが友達が視線入力してる様子をじっと見てました
じゃあYさんもやってみようかということになり
座位保持椅子に乗って画面に近づくと
キャリブレーションもさらっとやってしまいました
これには私も驚きました…今までキャリブレーションとれなかったのに
何も説明しなくても点を追いかけてました
貫禄ですね(映像に残ってないので残念ですが…)
思わずさすが名人!と叫びました
過去に取り組んでよかったなぁと思います
Yさんとは5年ほど前(もうそんなになるかぁ…)に一緒に学習しました
学習っていっても空いた時間にスキをついて視線入力するって感じでした
やはり
「できる」「できた」という経験ってのは生きるな
と勝手に解釈しています
あっち方面の方々に寄せて言うと
これこそまさに「生きる力」ではないかと…
中学生になってからYさんの自己アピールがはげしい
視線入力装置を使う以外の場面で
もちろんこれは視線入力と何の因果関係も説明できませんけどね
でも視線入力で「自分の思いが伝わる」という経験があるからこそ
この方法なら伝わるってのが本人の中にあるんじゃないかなぁ…
まぁそうあってほしいという教員の欲でしかないんですけどね…
あの時やった視線入力を使った「〜したい」の表現を学ぶ授業
これが生きてるんじゃないかなぁ〜
と何の根拠もなく思うのでした…
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